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みそや醤油にまつわる話や、くまもとの名所旧跡などをご紹介します

  • 01: 熊本城を築城した、加藤清正
  • 02: 日本で唯一!味噌を祀る味噌天神
  • 熊本城を築城した、加藤清正


    加藤清正像

    加藤清正像

    加藤清正像アップ

    加藤清正像アップ

    加藤清正は、1562年に尾張(現在の愛知県)に生まれ、豊臣秀吉とは親戚関係にあったことから、9歳の頃から秀吉に仕えました。

    1587年、肥後(現在の熊本)の領主に任命されます。
    肥後藩主としては1611年までの24年間の任期でしたが、実際に熊本にいた期間はそのうち15年ほどといわれています。
    その限られた期間で清正は荒れ果てていた肥後の地で治山治水、新田開発などを行い、熊本城を築城しました。
    県内至るところに清正公が築いたと言われている堤防や堰、溜池、新地などがあり、水害に悩まされていた当時の人々は大変喜びました。
    さらに新田開発で安定した食料を得ることができるようになったのです。
    そのため、人々からは「せいしょこさん」と呼ばれ、神様のように慕われていたといいます。


    加藤神社境内

    加藤神社境内

    清正公入国記念碑

    清正肥後入国400年記念碑

    加藤神社より見た熊本城

    加藤神社より見た熊本城


    そんな数々の功績から、熊本城内には、加藤清正を祀る加藤神社があります。

    武将としての加藤清正は、戦いに備えたこんなエピソードがあります。

    戦場に行くとき、清正は常に味噌と米を腰にぶら下げて持ち歩いていたそうです。
    常に兵糧を持ち歩くことで部下の武将達に日ごろから緊張感を持って行動することを自らの行動で示したのです。

    栄養があり、保存食品でもある味噌は戦の貴重な糧だったということですね。(参考:熊本城公式ページ )

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    熊本城 武者返し

    熊本城の石垣「武者返し」


    おまけ 熊本城の石垣「武者返し」


    石垣の下のほうは緩やかですが上に行くに従い急勾配になっています。
    これは、敵に攻められにくいという説と、多くの井戸を掘ったことにより、地盤の軟弱なことが判明し、力学的になだらかな傾斜にしなければならなかったという説もあります。(写真は熊本城本丸の西北にある宇土櫓。重要文化財に指定されています)
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    日本で唯一!味噌を祀る味噌天神


    味噌天神境内

    味噌天神境内

    境内から見た景色

    境内から見た景色


    熊本市内の路面電車が走っている大江というところに、味噌天神という地名があります。
    713年(奈良時代)、元明天皇の時代に建立されました。
    悪疫が流行して多くの死者が出て人々は悩み苦しみました。
    そこで国司は疫病平癒祈願のために「御祖天神(みそてんじん)をまつったところ、まもなく疫病は治まったと伝えられています。




    味噌天神境内の小笹

    味噌天神境内の小笹

    741年、聖武天皇の時代に諸国に国分寺がおかれました。
    肥後国分寺は現在の熊本市出水町に建てられ、寺の僧侶や信徒は朝夕の食事によく味噌を用いました。
    その味噌倉は現在地の近くにありました。

     ある年、大量の味噌が腐敗し、困り果てた僧侶達は「御祖天神」に祈願をしたところ、神のお告げに『境内にある小笹を取り味噌桶の中に立てよ』とのおぼしめしがあり、その通りにしてみました。

     すると不思議にも美味な味噌に変わり、人々は大喜びしてますます信仰をたかめ、日本国中唯一の味噌の神として「味噌天神」の愛称で広く全国に伝えられました。

    その後平安時代になってから、学問の神・菅原道真公もおまつりされました。

    1945年熊本大空襲で戦災に遭い、当宮は全焼しましたが、1957年に再建されて今日に至っています。

    建立地名から、「本村神社」とも言われます。

    毎年10月25日には例大祭が行われ、味噌が振舞われます。


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